「中高年のための仏教講座」の第1回を4月13日(月)午後6時から、名古屋市短歌会館(名古屋市中区錦2丁目)の3階集会室で開催しました。
講師の自己紹介に続き、「仏教は宗教じゃない?」と題して、仏教はキリスト教やイスラム教といった一般的な宗教とは性格が異なること、お釈迦様自身が信仰を否定していたことなどをご説明し、仏教はもともと人々を生き辛さから解放してくれる「人生の智慧」であったことをお伝えしました。
第1回講義の要旨は下記をご参照ください。
また、講義の最後には5分間瞑想を行いました。
ご参加いただいた方には心より感謝申し上げます。
第1回講義の内容
文化庁の宗教統計調査によると、日本人の3人に2人が仏教系団体の信者だそうですが、実際には日本人の9割近くが仏教徒であるといって良いでしょう。
ほとんどの日本人が仏式で葬式を行い、自宅に仏壇を飾っています。
お盆の墓参りや大晦日の除夜の鐘が仏教の儀式であることはいうまでもありません。
日本人が使う言葉の多くは、仏教に起源を由来するもので、仏教が日本人の生活と文化に溶け込んでいることが分かります。
しかしながら、その本質は現代の日本人に十分に理解されていないのではないか。
これは私が仏教を学び始めて以来、ずっと思い続けてきたことです。
仏教は宗教じゃない、というと皆さんびっくりされるかもしれませんが、仏教学者の間では特別目新しいことではありません。
宗教という言葉を広辞苑で調べると「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系」と説明されていますが、仏教には「神または何らかの超越的絶対者」は存在しません。
そして何より、お釈迦様本人が信仰を否定していました。
原始仏典のダンマパダには次のような一節があります。「何ものかを信じることなく、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知り、生死の絆を断ち、(善悪をなすに)よしなく、欲求を捨て去った人、―かれこそ実に最上の人である」
すなわち、お釈迦様は信仰を持たない人が最高の人間であると明言していたのです。
同じくカーラーマ経には次のようなくだりがあります。
カーラーマ族から「あるバラモンは自分の説が正しいと主張して、他の説を貶します。一体誰が真実を語り、誰が噓をついているのでしょうか」と尋ねられたお釈迦様は次のように答えます。
「あなたたちは風説にもとづいて信じてはいけない。経典に書いてあるからといって信じてはいけない。修行者や先生が説いたからといって信じてはいけない。これらの教えを完全に満たし、身につけると、不利益と苦とをもたらすと自分で知るとき、あなたはそれを捨て去るべきである」
つまり、お釈迦様は自分の体験と理性に基づいて真理かどうか判断しなさいといっているわけです。
私は仏教とは「人生の智慧」であると思っています。智慧とは「一切の現象や現象の背後にある道理を見極める心の作用」です。
「人生の知恵」といっても完全な間違いというわけではありませんが、「人生の知恵」が生きていく上で役立つ小手先の技術とすれば、「人生の智慧」は生きていく上で役立つ根本的な原理といって良いでしょう。
ところで、私が仏教を学ぶ前とどう変わったかと人から尋ねられたら、「生き辛さから解放された」と回答します。
私のこれまでの人生は平凡なもので、大きな悩みもありませんでしたが、生き辛さをずっと感じていました。
これは現代人に共通する思いではないでしょうか。
自分の人生を自由に選べるのは素晴らしいことですが、選択肢が多すぎてどれが正解かわからない。
情報が氾濫し、自分の価値観を一貫して持ち続けることが難しい。過去に対する不安と未来への不安が、私たちの思考のかなりの部分を占めているのは間違いありません。そんな私がお釈迦様の教えと出会いました。
「過去を振り返るな。未来を追い求めるな。過去となったものは既に捨て去られたもの、一方、未来にあるものはいまだ到達しないもの。…今日の義務をこそ熱心にせよ。明日の死を知り得る人はないのだから」
「跋地羅帝経(ばっじらていきょう)」の一節ですが、お釈迦様の教えの中で、私はこれが一番好きです。
お釈迦様の教えには素晴らしいものがたくさんあります。
ぜひ、皆さんに人生の智慧である仏教を学んでもらい、人生を楽しく生きてほしいというのが私の願いです。